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究極の社会性とは「ハーモニー」by伊藤計劃 感想 アリと化した人間が完全なアリを目指す話 ネタバレちょいあり

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虐殺器官の続編

ども、サウナ探偵です。
「ハーモニー」by伊藤計劃の感想など。

「虐殺器官」の続編となる本作。虐殺器官のラストで大変なことになった、その数十年後を描いている様子。どうやら。
虐殺器官はかなり高評価な作品なので期待して読んだのだけど、個人的にあわなかった。なんというか、思想が強すぎるというか、そのせいで小説として楽しめないというか。

だから本作はどうなのかと期待半分不安半分で読んだ!

あらすじ

21世紀後半、“大災禍”と呼ばれる世界的な混乱を経て、人類は大規模な福祉厚生社会を築きあげていた。医療分子の発達で病気がほぼ放逐され、見せかけの優しさや倫理が横溢する“ユートピア”。そんな社会に倦んだ3人の少女は餓死することを選択した―それから13年。死ねなかった少女・霧慧トァンは、世界を襲う大混乱の陰に、ただひとり死んだはずの少女の影を見る―『虐殺器官』の著者が描く、ユートピアの臨界点。
「ハーモニー」伊藤計劃より

やっぱり思想が強すぎる

やっぱり思想が強い。
虐殺器官よりは読めたけど、思想に寄りすぎててエンタメ分が少ないなあ、と。思想によっててエンタメ分が少ないというのは、つまり言ってることは面白いけどストーリーが面白くねえということになる(個人的な感想)。あと固有名詞がバンバンでてくるのとか場面が飛びまくったりしてすんごい読みづらい。

もしかしたら伊藤計劃にとっては小説というのは手法に過ぎなかったのでは?とすら思わされる。

題材はマジでおもしろい

一方、題材はかなり面白い。
「虐殺の文法」という本質的な要素があやふやな上にそれ一本勝負だった虐殺器官に比べると、こちらの方が遥かに興味を惹かれた
虐殺器官では「その話長くなる?もう終わる?」みたいな気分だったのが、ハーモニーでは「ん?今なんて言った?もっかい頼む」という感じになった。

ハーモニーのストーリーを簡単に説明しよう。
世界的な大災厄を経て、人類は健康を第一に考えるようになった。極度の健康管理により、やがて少しでも健康を害すことは社会リソースを損なう悪であると見做されるようになった。そんなアリみたいな社会性動物と化した人間が、さらに自我を捨てて完全な社会性を獲得する話。

この舞台設定には痺れる。まさにディストピア。

究極の社会性


社会性と自我がトレードオフであることは我々にも理解できると思う。全く同じ人間はいないのだから、社会性とは各々がある程度の自我を抑制することによって成立する。

では、自我を抑制するのでなく、自我という””機能””を捨ててしまったら?というのが本作のテーマだ。究極的に自我を排除すると、究極的な社会性が生まれる、という。

その論理が実に秀逸だ。

血糖値が高いと血液の凝固点が下がる。これは寒さに耐えて子孫を残せるため有利だ、たとえ長期的には糖尿病という病毒になるとしても。という例がある。
抽象化すると、進化のある過程では生き残るのに有利だった形質が、現在では不利になることがある。それならば排除するべきである。

我々に備わっている「意識」もそういった形質と考えられないだろうか?自我という概念は、かつては生き残りに有利だったかもしれない。しかし高度に社会化した(作中の)現代人にとっては、百害あって一利ないのでは?

という問い。

目の付け所がシャープすぎる。
確かに進化の過程で自然淘汰に有利だった形質が、今でも有利とは限らない。ましてや高度な科学を獲得した人間は、そもそも生まれ持った形質で淘汰されることはほとんどないと言っていいだろう。
我々の身体を形づくる要素が、必要十分であるなどとは到底言えないのだ。


こういう読書は体力を使うけど、頭も使うのでやっぱり楽しいな。
読んでる間はなんだかダルかったけど、読了後に24時間かけてジワジワときた。

おわり。

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