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「華氏451度」byレイ・ブラッドベリ 感想&考察 本を読まないとどうなるのか 現代日本を見てきたかのような切れ味

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本が禁忌とされる世界

ども、サウナ探偵す。

ー書物が禁止された世界では、人々はどのように狂っていくのかー


近未来SF「華氏451度」は、アメリカの作家レイ・ブラッドベリによって1953年に書き上げられた。
本が禁忌とされる世界における人々の常識を、恐ろしくもセンセーショナルに描いた名著だ。

当時は突飛なSF作品だったかもしれない。
しかし、現代日本はまさにここで描かれる思考停止社会へと加速している。

絶対に今読むべき一冊と断言しよう。

新訳版がおすすめ。

あらすじ

舞台は近未来。書物が有害とみなされ禁忌とされる世界。
禁止されたとしても、密かに読書を楽しむ人や文学を研究する者は存在する。
彼らは隣人の密告により罪を暴かれ、昇火士(ファイアマン)と呼ばれる取締り組織によって本を家ごと燃やされる。

主人公モンターグも昇火士の一人だ。
彼は風変わりな少女と出会い、対話することで、現状の世界に疑問を持つようになる。
ある日、大量の本を隠し持った老婆が、取り締まられるとわかると自ら家に火を放ち、書物とともに焼死した。これを目の当たりにしたことで、彼の世界への不信感は確かなものとなる。

本とは何なのか、本当は本は有害なんかじゃなく、素晴らしい知識や情報に溢れたものなのではないか。
世界への不信感と好奇心から書を開くモンターグ。それこそが破滅への一歩だった…。

という話。

本が禁止されたらさ、死んでしまうな。


本を読まないとどうなるのか

この世界の大衆は、本を読まない。
この世界では人々は家の壁に埋め込まれたテレビのようなモニタに映った""家族""(と呼ばれるAIみたいなもの)と会話して1日を過ごす。常に何かのメディアに触れ、一方では何も吸収してない。

「華氏451度」は、そうやって漫然と流されるままに生活を送ることが当然となった世界の危うさをありありと描写した、近未来SFホラーとも言うべき作品だ。

本を読まないと、どうなっちまうんだ。という問いに、ある一つの答えを示している。

本を読まないとバカなのか

本書のメインメッセージは「本を読まない奴はバカだ」ということ。

これは表面的な話で、もちろん本を読まないことがバカに直結するわけではないことを現代人は知っている。(実際に見識の深い人は例外なく本を読むだろうけど)

本書の真意は「物事の本質を考える力がない奴はバカだ」という命題に帰結する。

本書は1953年に書かれている。テレビの黎明期だ。よって本作の背景には書物VSテレビという構図がある。能動/受動という対比が、物事に疑問を持ち鵜呑みにしないという「自分で考える力」の有無に反映されている。と、思う。

つまり、本書で言う本を読まないというのは、物事を自分で考えない、つきつめて考えないことの象徴である。


小説だからこその恐ろしさ

ところで、現代でも多くの評論家や学者が読書を薦める主張を本にまとめている。
しかしそれらはやたらと鼻につく

多くは新書、つまり評論文なのだが、「本を読むことが至高」であり「本を読まないことは愚か」という主張は似通っていても、時代の違いから、根底にある想いが違う。彼らがいうところの本とは古典のことであり、大衆文学ではない。

彼らには選民思想と優越感、そして”大衆”を下に見た姿勢が透けて見えるのだ。

本書「華氏451度」には嫌味がない。おそらく小説の形をとっており、作者の言葉で非読書を批判していないからと考える。
「本を読まない人が如何に不見識で愚かな生活を送っているか」ということが、作中人物の行動によってありありと示されているのだ。
だからこそ恐ろしく、危機感を覚える。

直接「お前は本を読まないからバカだ」と言われるよりも、第三者がどんなに愚かであるかを描写される方が何倍もすんなり腹落ちする。


危惧された世界が現代日本すぎる

ブラッドベリ、もしかしてタイムトラベラーか??

と、思ってしまうほど、本書は2021年現在の日本の状況を的確に言い当てている
意訳だが、登場人物の発言に、以下のようなものがある。

「エンタメは誰にでもわかるよう大味で省略されたものになっていく」
「国民には記憶力テストをさせておけば勝手に分かった気になる。自分の頭で考えてると錯覚させることができる」


今の日本すぎるだろ…。

エンタメのメインストリームはTikTokやYoutube。考える余地はなく、100%受動的に楽しめる。触りだけ見て気に入らなければ数秒で次の動画へ。
深みもクソもあったもんじゃない。流れてくる”一見面白い情報”は脳内をスルーして1分後には何を見ていたかも忘れている。

ゴールデンタイムにテレビをつければ月火水木金クイズ番組。
「自分が利口だと思ってる人」には8割正解できるレベルの難易度の問題ばかり。クイズ番組に正解することで、人々は「自分は大丈夫だ」と安心している

しかも狡猾なことに7時台のクイズ番組が終わると、CMを挟まずに8時台のクイズ番組が始まる。
現代人は忍耐がない。CMに入りチャンネルを変えてしまわれないように、番組を1時間見続けさせるために、「問答無用」で初めの10分を見せるのだ。

政府に書物を禁止されたわけでもなく、人々が自分でこの状況を選びとっているのだ。
世界はすでに「華氏451度」で予言されたディストピアに両足を突っ込んでいる。


まとめ

本が禁止された世界、もとい「民衆が本を放棄した世界」の恐ろしさをまざまざと見せつけられる小説「華氏451度」を紹介した。

この作品、別にストーリーは面白くはない。"""本を読むことが悪である"""というその着眼点に全てが集約されている。
だがそこが極めておもしろい。
本書はSFであり、ホラーであり、予言書である。

本書を読む者はおそらく多くがこの世界を恐れ、そして自らが「本を読む側」であることに安堵するだろう。
だがおそらく、本を読まない人には本書は届かない。両者は絶望的に断絶されている。


おわり。

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