小説のタイトルに感動したことはあるだろうか。
俺はあるよ。
タイトルの重要さ
サウナ探偵です。
小説を読んでいて、「くぅ〜!それでこのタイトルかよ!ぴったりじゃ〜ん、やるなぁ!」と、感心、もとい感動してしまうことがある。
今回はそんな一作、奥田英朗氏の「罪の轍」を紹介したい。
タイトルは超重要だ。読者と本のファーストコンタクトはタイトルと表紙だからだ。おもしろそうなタイトルならば自然と食指が伸びる。なろう系の「〜が〜したら〜だった」みたいなタイトルは理にかなっているのだ。中身が面白そうかわかるから。
一方で、読み終えてやっとタイトルを完全に理解する小説がある。ストーリーの余韻を感じながら、タイトルを噛み締める。至福の時である。芸術そのものである。そういうのが好きだ。
秀逸すぎるタイトル
今までに感動するほどタイトルに感銘を受けた小説が一作だけある。
有栖川有栖氏の「双頭の悪魔」だ。
ストーリーを端的に表し、しかしネタバレにはなってない、それでいてメチャクチャかっこいい、小説のタイトルとしてこれ以上のものはないだろうと。
この「タイトルが秀逸シリーズ」に加わることになった一作が奥田英朗氏の「罪の轍」である。
昭和三十八年。北海道礼文島で暮らす漁師手伝いの青年、宇野寛治は、窃盗事件の捜査から逃れるために身ひとつで東京に向かう。東京に行きさえすれば、明るい未来が待っていると信じていたのだ。一方、警視庁捜査一課強行班係に所属する刑事・落合昌夫は、南千住で起きた強盗殺人事件の捜査中に、子供たちから「莫迦」と呼ばれていた北国訛りの青年の噂を聞きつける―。オリンピック開催に沸く世間に取り残された孤独な魂の彷徨を、緻密な心理描写と圧倒的なリアリティーで描く傑作ミステリ。
「罪の轍」奥田英朗より
どんでん返しとかじゃない
「罪の轍」だが、いわゆる社会派ミステリーにカテゴライズされる作品だ。事件が起こり、刑事が捜査する。探偵はいないしみんなを集めて推理大会をやるようなミステリーではない。犯人は初めからわかっている。
孤独な空き巣の常習犯が故郷から逃げ、東京でも空き巣を繰り返す。ついには凶悪犯罪を犯すにいたる足取りが警視庁をあげての捜査ですこしずつ明らかになっていく。
その過程はまさに「罪の轍」を紐解いていく過程である。
日本版ジョーカー
本作を読みながら思った。これは日本版ジョーカーではないかと。
継父から虐待を受けた過去を持つ少年は罪悪感なしに盗みを繰り返す青年に育った。人と話していてもどうもズレている。パンがないならケーキを盗めばいいじゃない、を地で行くサイコパス気味の人間。
本人は何がおかしいのか、悪いことをしている感覚もないのだ。全て他人事なのである。
虐待のせいで共感性に欠けた人間になってしまったのか、生まれつきのサイコパスなのか。
映画ジョーカー同様、同情の声も多いと思う。育った環境が違ったならばと。
しかしジョーカーとは本質的に異なる部分がある。
それは殺しの対象である。
ジョーカーは自分を窮地に追いやった人間、環境への仕返しが色濃いが、本作では全く罪のない民間人を自分の都合で殺めている。
罪のない人を殺してしまったら、もう生い立ちや障害は免罪符にならない。
少なくとも市民感情はそうだ。
やはりジョーカーとは本質的に異なっている。だが構図はかなり似たものがある。こういう構図は人間の後ろめたい部分をエグってくる。自分のあの時のあの一言が、もし彼が変わってしまった原因の1%だったとしたら…。
尻上がりのおもしろさ
「罪の轍」、傑作であるが正直に言って序盤は退屈である。いつから面白くなるのかと思いながら読んでいると、中盤から急にのめり込んでしまうのだ。
そして気付く。前半はまさに「罪の轍」を残す過程だったのだと。その罪の轍が後半、徐々に明らかになっていく様子に鳥肌が止まらない。こんなに面白くていいのかと。
人間ドラマなのに、誘拐事件なのに、障害者の話なのに、こんなにエンターテインメントでいいのかと。
そして読み終えた時、タイトルの余韻を噛み締めるのである。
まとめ
各所で絶賛を受けている「罪の轍」を紹介した。
舞台設定からキャラクターまで全部が効果的に脳を楽しませてくれる小説だった。
ラストはやや唐突だったが、この本を読んだ者同士で意見を言い合うのも良さそうだ。でも気をつけないと喧嘩になりそう。
「罪の轍」はこんな人におすすめ
・感情をぶん殴られたい
おわり。
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