鈴と小鳥とそれから私とサウナ

ディズニー「ポカホンタス」考察 オタク君と王子様待ち少女の間にある絶望的な溝


ポカホンタス(吹替版)


少女には花束を、オタクには死刑台を


「ポカホンタス」を見て、ディズニー映画というものが見えた。

王子様を夢見る少女には夢と希望とキラキラを与えつつ、オタク君にとってはひたすらに絶望を突きつけるコンテンツだということが、わかってしまった。

どういう話かっつーと

まずはあらすじをまとめる。

ポカホンタスはネイティブアメリカンの少女。村長の娘。村で一番まじめで勇敢な戦士ココアムが事実上の婚約者となっている。

一方、ジョンは英国から黄金を求めて船に乗ってやってきた開拓隊の一員。
先住民族VS侵略者という構図で敵対する両者。しかし対立とは無関係に偶然森で出会った2人は恋に落ちてしまう。

なんやかんやあって敵勢力にポカホンタスが捕まってしまったと思って助けようとしたココアム、打たれて死ぬ。

なんやかんやあって両民族、和解。なんやかんやあって、ポカホンタスは村に残り、ジョンは英国に帰る。
離れてても心はひとつだよ、完。

ではこの「ポカホンタス」のストーリーを視聴者がどう受け取るか、立場を変えて考えてみる。

夢見る少女視点が受け取るポカホンタス

・停滞した環境から救い出してくれる王子様の登場
・都会からやってきたイケメンとの素敵な恋
・環境が許さない悲劇の恋、悲劇のヒロイン
・夢、希望、キラキラ、ドキドキ

夢見る少女はポカホンタスに感情移入する。いわば、ポカホンタスを擬似体験する。
今のくらしに不満はないけれど、ドキドキを求めてる。
そして現れる王子様。地元の芋にいちゃんとは違う、洗練されたイケメン。
苦難を乗り越えて通じ合う二人。はー理想っすね。キラキラっすね。
いいんじゃないでしょうか。

オタク君が受け取るポカホンタス

・地道に真面目に努力した人間が報われない
・結局いい人よりも博打うちのチャラ男にとられてしまう
・地味オタク君は邪魔なので初めからいなかったことにされる
・怒り、排除、絶望

オタクはポカホンタスに感情移入しない。開拓者ジョンにも感情移入しない。
オタクの姿はココアムにある。
真面目、勤勉、コツコツ、だがしかし、見向きもされない。
ポカホンタスからすれば、眼中にない。まさにアウトオブ眼中。

ポカホンタスが抱くココアムへの感情は、好きとか嫌いではない。
完全なる無関心である。

悪意ではなく住み分け

ポカホンタスの視点から言えば、ココアム君と結婚するとかどうとかいう話は、概念レベルで存在してない。
考える余地もないし、そんなこと見当も付かなかったというレベル。

これは夢少女の見識が低いとか、オタクくんがひねくれてるとか、そういう話ではない。
なぜならば本作は夢少女向けに作られているからだ。
決してオタク君向けに作られていない。

夢見る少女をターゲットにする場合、オタクくんは切って捨てられる軽い存在である必要がある。
絶対に交錯しない存在。それがオタク。

オタク君向けのコンテンツでもそうでしょ。ギャルは敵でしょ。
スクールカースト上位者をバカにしてるじゃないですか。あらゆるオタク向け作品のオタク君は。

これは差別とか迫害じゃなくて、住み分けなんだな。

まとめ

史実を元にしてるのに美談になっててけしからん!みたいな批判も多いみたいだけど、俺はそのあたりはどうでもいい。

見ていて、絶望的なまでに露骨なターゲット層を意識させられて、そこに面白さを感じてしまった。
しかも多分この外側から俯瞰した感想、純粋に王子様に憧れちゃう人には理解されない。

俺はディズニー映画って好きだけどね。ラプンツェルとかシュガーラッシュとか。
でもポカホンタスのせいで他の作品も今後はこの夢少女VSオタクの視点に注目してしまうと思う。

こう、ひねくれた視点を持ってしまった大人には、戻れない場所があるわね…。

おわり。