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小林泰三「失われた過去と未来の犯罪」ネタバレなし感想&考察 自我の本質は何か。何が自分を自分たらしめているのか。

失われた過去と未来の犯罪 (角川文庫)

小林泰三氏が11/23に亡くなったと聞いて、追悼の意を込めて一冊読んだ。スゲェ面白かったな。死んでしまったからこの購買や感想が本人に還元されることはないのだけれど。

小林泰三氏の作品は、本屋で見かけた「アリス殺し」を表紙買いしたのが初めてだった。
全編通してのナンセンス会話にイライラさせられつつも新感覚なミステリーで楽しく読ませてもらった。だが次作の「クララ殺し」が個人的に期待外れだったので、以降手に取ることはなかった。

亡くなったのを気に(というのも変な話だが)、「失われた過去と未来の犯罪」を読んでみた。個人的にここ最近面白い一般小説に出会えてなかった中、メチャクチャ面白え一冊に出会えたという感じ。
個人的にはメルヘン殺しよりも断然オススメ。

本作のポイント
・記憶が保てなくなった人間はどう行動するか
・記憶の本質が記録媒体となった世界で何が起こるか
・アイデンティティの本質とは何か



あらすじを書いてみる。
舞台は日本。ある日突然、全世界の人類が記憶を10分以上保持できなくなる。いわゆる短期記憶を長期記憶に変換する仕組みが全ての人からすっかり無くなってしまった。手のひらにある記憶をしまうための引き出しが見つからないうちにどんどんこぼれ落ちていく、というような状況。ある国の核実験により、宇宙の根本的な原理が変わってしまったせいだと考えられているが、真相は定かではない。

いずれにしても、人類はこの大災害「大忘却」を乗り越えた。数十年後には大多数の人間は脳を半導体メモリに接続し、過去の記憶全てを電気的に保存するようになった。また、メンテナンスのため取り外しが可能となる。

メモリを取り外した人間は当然過去の記憶を全て失うし、記憶を10分しか保てなくなる。自分の名前さえ忘れてしまうのだ。
人格や性格というものは、経験の積み重ねによって構築されるものだから、体験、判断、思考プロセスなどのいわば「個人を個人たらしめる積層データ」たる半導体メモリはもはや個人そのものとなっていた。肉体は記憶を読み出すための装置に成り代わっていた。
自分のメモリを他人に挿入すれば、“”記憶のない空の人間“”に自分の全ての情報を渡すことになり、他人は自分と同じ自我を持って振る舞い始める。

この半導体メモリを取り違えたり、消失したり、複製したりといった事故や事件を通して、アイデンティティとは何かという本質に迫ったブラックSFコメディ小説だ。

本作は2部に分かれている。第1部は大忘却発生時の人々の混乱や対処を描くパニックSFの様相 。第2部は記憶保持装置が普及した後の、メモリの取り扱いに感する短編エピソードがいくつも語られる。
一つ一つが同じ前提に立ち、記憶装置の問題点や人々の認識のあやふやさを浮き彫りにしていく良質なエピソードに思えた。

各エピソードは一見無関係に思えるが、読み進めていくとある繋がりがわかっていく。
読み進める過程で読者が感じ取る、「自分を自分たらしめているのは肉体(脳)なのか、それとも記憶なのか。記憶が自己の本質であるならば、記憶を外部メモリに依存した世界では何が自分なのか」という恐ろしい空想に1つの着地点を提示する。

有名な画像
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個人的な意見としては、自分を自分たらしめているのは、脳のポテンシャルと積層された記憶のコラボレーションだと考える。

現実の人間は脳で有機的に知覚した記憶を脳に有機的に保存する。記憶と呼び出しが全て脳内で有機的に行われる。
一方本作で語られるところの記憶は、脳で有機的に知覚した"記憶"を無機的な半導体メモリに10分単位でコピーしている"記録"にすぎない

従って、本作における人類は、大忘却以降すでに10分単位のアイデンティティしか持っておらず、世界の本質は大部分が無機的な半導体メモリに置き換わっているのである。無自覚にシンギュラリティに到達してしまった状態と言えなくもない。

世界5分前仮説にも通じる恐ろしい空想だ。
しかし最高に面白い。

また、無機的なコピーであるメモリを記憶のないカラッポの人間に挿入し、自我を持ったとしても、これはコピーであり、オリジナルとは異なる。作中でも語られるようにそれは「記録の再生」である。いくら肉体(脳)が""死んだと思ったらここにいた""と、肉体から見て正しく知覚しても、それはオリジナルという意味での本人ではない。
メモリを挿入し記録を読み込んだ瞬間に、肉体に10分単位の新たな自我が生まれるというのが本作のテクニックでありミソであり興味深い点だ。

これは他者の肉体でなくても理論上同じことが起こるはずだ。自分からメモリを取り外し、10分経って完全に記憶を失ってから挿入し直した時、見た目には「意識が戻った」ように見えるだろう。だが、本質的には「新たな自我が生まれ、10分前までの""記録""を受け継いだ」状態なのだ。つまりこの世界では、メモリ無しでは人間は10分単位で死に、新たな自我を獲得することになる。なんとも恐ろしい。


1つの小説でここまで考えさせられることも珍しい。
ただただ楽しいジェットコースターのような小説もいいけど、こうした思考実験が膨らむ様々な示唆に富んだ作品も本当に面白いね。
こうして作品について考察することが、小林泰三氏への追悼となるだろうか。

ますます読書ってやめらんねぇわ。

クララ殺し (創元推理文庫)

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