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「ケーキの切れない非行少年たち」宮口幸治 感想&考察 我々が口を出せるのはどこまでか

本書は大筋では以下のようなことを言っている。

凶悪な非行に走るのは大部分が知能に問題のある少年である。
一方、問題行動のある少年に対して行う知能検査には、潜在的にシステム上の不備がある。
そのため認知機能(見る・聞く)に問題のある、本来知的障害と判断されるべき知能レベルの少年が正常と判断される。
障害児として治療をうけることのない潜在的障害児が周囲からストレスを受けて非行に走る。
彼らを早い段階で診断し、非行に走らせない、認知機能を改善して社会に送り出すことが必要だ。

飛躍があるかもしれないけど、だいたいこんな感じ。

彼らはケーキが切れないばかりでなく、少し複雑な図形を正しく書き写すことが出来ないし、自己や他者に対する認識が壊滅的に誤っている。

これは精神的な問題以前に、世界を捉える感覚器官に問題があるのだと、本書は言っている。

正しく見ることができない、正しく聞くことができない。世界をその通りに認識していない。
そんな、「障害を見逃されている」彼らに道徳を説いても無駄なのであると。何も響かないし、共感以前の字面通りの理解もままならないのであると。
ある種非情な、どこまでも残酷な現実を本書は突きつける。

で、そこで疑問に思うのが、認知機能って改善すんの???ってこと。
個人的なイメージでは、改善しねえんじゃねえかなって思ってしまう。
身長や容姿や体質と同じように、脳という内臓の機能も生まれ持った遺伝子である程度は決まってしまうことは疑いない。ポイントはその先天的な部分と後天的に変更可能な部分の程度問題だ。ここについては材料がないので何も言えん。
個人的に専門が分子生物学なので、遺伝子を信じすぎてるのかもしれないというのはある。

本書を読んで、「私は彼らに対する理解が足りなかった。彼らはかわいそうな境遇の子たちだ」と感想を抱く優しい人もいるだろう。

俺は、「ああ、やっぱり話が通じねえ奴がこの世にはいるんだな。」って思ってしまっただけだった。障害といっていいレベルのハンデを障害と診断されずに放置されることは気の毒ではあるけれど、気の毒であることと社会に適合するかははまた別の話。
被害者からすれば加害者の背景など知ったことではない。

IQというのが正規分布の統計値である以上、どうやったって標準偏差に収まらない下側の境界知能以下の人が人口の16%出てくるのは避けられない。これは数字遊びなのかもしれないけれど。

それに加えて近年は、高学歴(知能は高い)なのに凶悪事件を起こす「無敵の人」もいるんだから、こんなん外歩けたもんじゃねえな。

彼らを適切に診断し保護、治療、ケアするってのは間違いなく必要なことだと思う。弱者を切り捨てない、つまり自然淘汰の克服こそが、野生動物ではない人間に特有の機能だと思う。

だから彼らは丁重に扱われるべきだとは思う。

でも一方で個人的には「一線を越えて加害にまで至ってしまった奴」にはそこまで付き合えねえ。

非情な感想かもしれないし、差別主義と取られるかもしれないが、俺は本書を読んで「世の中には絶対に相容れない別世界の人が一定数いる」という確信を強めた。

一方、彼らを具体的にどう扱うかというのは、非常にセンシティブな話だ。専門でない我々の論ずるところではない。


おわり。