君はかっぽじったことがあるか。
何を隠そう、俺はかっぽじったことがない。これは至極当然のことである。なぜならば「かっぽじる」の正しい意味を知らないからである。
「かっぽじる」という状態を正しく理解していないため、仮に意図せずかっぽじっていたとしてもそれはかっぽじっているという確固たる自覚のもとかっぽじっていない。これをどうしてかっぽじったことがあると言えるだろうか。俺は耳クソをほじくり回したことはあるが、かっぽじった事は無いのだ。ぜひ、かっぽじってみたいのだ。
まずはかっぽじるということを正しく理解する必要がある。ある言葉を理解するには、辞書的な定義を確認するのもよいが、例文を読み込むことで感覚的に理解することもできる。人間の思考力は、文脈から未知の情報を予想することが出来る。文学的帰納法である。全日本そんな言葉は無い選手権で上位に入れそう、文学的帰納法。
「耳の穴かっぽじってよく聞け」
これ以外の例文を俺は知らねえ。かっぽじるの目的語は「耳の穴」しかないのだろうか。耳クソ以外をかっぽじることは我々には出来ないのだろうか。せび他にかっぽじれるものを発掘したい。例えば鼻クソはかっぽじれるだろうか。
「鼻クソをかっぽじってよく嗅げ」
悪くない。鼻クソをかっぽじる様子は容易に想像ができる。鼻クソはかっぽじれそうだ。では目は?
「目クソをかっぽじってよく見ろ」
これは違う。よく分からないけど明らかに違うと断言できる。目クソはかっぽじれない。もしかしたら形状の問題では?耳と鼻は穴だが目は穴では無い。では排水溝は?排水溝はかっぽじれるだろうか。
「排水溝はよくかっぽじって綺麗にしろ」
イケるかもしれない。排水溝をかっぽじる様子を思い浮かべることが可能だ。が、やや耳や鼻に比べるとかっぽじる感が低い。これはもう感覚的な問題なので排水溝もかっぽじれる人はいるかもしれない。ここではアンパイをとって排水溝はかっぽじれないと結論づける。
そうしていろいろ考えてみた結果を報告する。かっぽじれるものとそうで無いものを分けてみた。完全に俺の感覚だけど。
●かっぽじれる側
耳クソ、鼻クソ、へそのゴマ、蟹の身
●かっぽじれない側
目クソ、爪の垢、ニキビの芯、海老の身、アリの巣、排水溝
難しい。やや無理やりだが、「生体に付属する穴、または生体に属する穴に準ずる構造から、そこに詰まっている明確に柔らかい何かを、細長い何かを用いて引き摺り出す様子」と定義できるかもしれない。この文章、ニュアンスも含めて過不足のない様に細心の注意の下に組み上げた文章である。加筆修正は認めない。どうだろう。これが文学的帰納法である。何度も言うがそんな言葉は無い。
結論として、「かっぽじる」の定義として、是非、以下を提案したい。
「生体に付属する穴、または生体に属する穴に準ずる構造から、そこに詰まっている明確に柔らかい何かを、細長い何かを用いて引き摺り出す様子」
これで明日からみんなも明確な自覚のもとに、かっぽじれるようになること必至である。
以上。