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「すずめの戸締まり」ネタバレ感想&考察 女子高生と椅子のワクワクロードムービーと思いきやクソ重の翁【新海誠】


更新日: 2022/11/13

引用元:公式Twitter  https://mobile.twitter.com/suzume_tojimari

えー、好きですね。

ども、サウナ探偵です。
すずめの戸締りの感想をね、書いて行きますよ。
シンプルに面白かった。イヤ、面白かったというよりも、個人的に好き?

前情報は「すずめさんが戸締まりをする(???)」くらいしかなかったのでこういう話だったとは。

初見インスピレーションを大事にしたかったから、この3ヶ月小説を買おうとする手を抑えるのに必死だったよ。
映画見たついでに買ってきたけどまだ読まない

【追記】読んだ後の考察も書きました。

www.sauna-detective.com


なのでこれは映画のみの感想。だから色々間違ってたり記憶違いがあるかもしれないのは勘弁してくれ。
と思ったんだけど入場者特典で配ってた冊子は読んじゃった。これ読まねえ方がよかったな。まだ。結構大事なこと書いてあんじゃねえかよ。

とりあえず包括的なのはやめて思いついたことを書き散らす。

どんな話だったか。

表面上の性質で言えば、「女子高生とその相棒のロードムービー」

本質的なテーマから言えば、「終わらせる物語」と言ったところか。

この「終わらせる」というのは、一つはタイトルの「戸締まり」のこと。
もう一つは「過去を終わらせる」ということ。

廃墟の戸締まり

本作は異形の怪物”ミミズ”によって引き起こされる災害を回避するために全国行脚するという話だ。

【追記】全国行脚する理由は猫を追いかけることだったわ。結果的にいった先でミミズが出現する。【追記終わり】

これが必ず廃墟で起こる。廃墟のどこかにある扉を起点として怪物が暴れ始める。主人公スズメと”閉じ師”の草太はこの扉を閉じることで災害を回避する。

その際、廃墟が廃墟でなかった頃を想像するという手続きがある。人の生活があった頃を。この手続きによって、ミミズを鎮める = 土地を鎮めるという繋がりが生まれるのだ。
怪物を鎮めることを通して、人がいなくなり廃墟と成り果てた土地を「終わらせてあげる」というシークエンスとなる。
だからミミズなのかもしれんね。

具体的には、愛媛の廃校、兵庫の遊園地の観覧車、三陸海岸(?)。でそれが描かれる。
宮城は草太が閉じたので想像シーンなし。
東京は草太(椅子)が人柱(椅子柱)になって沈めたので鍵閉めシーンなし。

【追記】宮城はあったっぽい。東京は鍵閉めシーンはあった。想像してたかは謎。小説読んで思い出した。【追記終わり】


本作は、過疎化、少子化により全国で打ち捨てられた廃墟を「終わらせてあげる」物語だ。

過去を終わらせる


スズメは作中、ずっと死ぬのは怖くない、生きるか死ぬかは運であると言っていた。
これは4歳の時に東日本大震災で被災し、母親を失ったことが根底にある。本作は東日本大震災モノである。
母は(おそらく)津波で死亡し、スズメは生き残った。運によって生き残った
このことがスズメの死生観に多大な影響を与えている。自分の生き死には運だと。自分が死ぬことは怖くはないと。自らに関してはどこまでも無責任だ。

しかし彼女は他人への責任は重く受け止めている
草太が椅子に変えられてしまったこと。ミミズを解放してしまったこと。草太が教員採用試験を受けられなかったこと。
責任を通して草太と関わるうちに、スズメにとって草太はかけがえのない存在となる。

最後には「死ぬのは怖い。草太のいない世界は怖い。」と思うに至り、スズメの死生観を作った被災地にて扉を閉じる。
この時扉を通して被災当時の自分とも出会うことになる。度々見ていた夢の正体がこの時の記憶だとわかる。草太ともニアミスしており、冒頭の「私たちどこかで〜」はこの伏線。

こうした手続きを通して

・スズメの歪んだ死生観
・度々見る被災時の夢の正体
・その夢で出会う母親と思っていた人物が実は成長した自分だった(=母との決別)

というあたりの過去の精算、決別、克服?納得?がなされる。いい言葉が見つからないけど、とにかくスズメが過去を飲み込んで一歩前へ進み出すことになる。

という重めのテーマがワクワクロードムービで描かれる

のがいいよね。
好きなんすよ。ロードムービー。
各地を旅して現地の人との出会いと別れ。いいっすね。好きですね。

愛媛のチカとか、兵庫のスナックの店員の姉ちゃんとか、ちょい役にはもったいねーよ。
キャラクターメイキングも、デザインも、秀逸だわ。サンキュー田中将賀。
あと二ノ宮さん、車が俺と同じだわ。

エンドロールで神木隆之介の名前見た時にはびびったね。え?!瀧出てた?見逃した?!って。
天気の子の例があるから身構えてはいたんだけどね。
あのチャラ男かよ。

にしてもいきなり椅子はやりすぎだろ。
もっとイケメンを映せよ。

構造の話をする。

謎理論の理由づけ

本作のストーリー上の1つの大目的は、「解放されたミミズを2つの要石で封印」
キッチリ意味不明である。

民俗学的な何かが下地になってはいるようだけど、こんなんほとんどファンタジーのレベル。悪くいうと、記号的。

だが、この意味不明さがそこまで引っかからない。おそらく、「元に戻す」という構造が原理的に腹落ちしやすいのではないかと思う。
「スズメが封印を解いてしまう」というシーンがあるからこそ、「じゃあ封印しなおさないと」と腹落ちする。
これがとつぜん現れた怪物が主人公にだけは見えて…となってくると話変わってくるけどね。

その辺り、「槍でやり直す()」とか突然言いだすのとは違って、意味不明ながらも理由づけがされている。

ちなみに2つの要石が宮城と東京にあったということの理由はなんかあるんかね?
地質学的に何か根拠のある裏設定があったら面白いな。プレートのなんかの起点が宮城と東京にあるとか。

新海作品の心情描写

新海誠作品は、登場人物の動機付けがしっかりされている印象がある。
俺は「星を追う子ども」以外は全部見ている。映像美ばかりが持て囃されるが、新海氏の真髄は登場人物の心情が緻密であるということなんじゃないかと思い始めてる。

本作でいえば、自分がミミズを解放してしまったという””責任感””がスズメを突き動かしていることは明白である。(流されやすく直情的な性格というのもあるが)
後に動機は草太への恋心へと変わっていくのだが、責任感は最後まで付きまとう。

新海作品の場合、作中の不合理な行動や軽犯罪も、「人間の感情がそう動いた結果」と読み取れるので、割とそれ自体には違和感がない。
天気の子の帆高君に対してこいつクソバカで嫌いだわ〜と思うこと自体が、「キャラクターを人間として見ている証拠」なので脚本の勝利だ。つまり「人間が描けてる」ということ。

物語に没入するにあたりごく基本的なことのように思えるが、これができていない印象なのが細田作品。
あちらは登場人物の心情の変化や動機ではなくプロットで話が進むので、「人間」に見えない。作中の人間がストーリーを進めているのではなく、神の見えざる手がコントロールしているのが透けてしまう。

この辺り、両者の格付けが決定的になったのが本作のような気がしてる。

映画で説明しきれてないところ

映画を見て納得できてないところを上げてみる。

・草太が椅子にされた理由
・ダイジンが明らかに悪役ムーブしていた理由
・2つ目の要石が抜けた経緯

一回しか見てないので、実は説明がなされていたかもしれない。でも一回見て受け取れてなかったら説明されてないのと一緒だと俺は考える。

書き出してみるとかなり本筋にクリティカルなところで説明不足な部分があることがわかった。特にダイジンの悪役ムーブに関しては本当に意味がわからない。ヤツの心情に関しては完全に一切読めなかった。あいつはなんなんだ。

というか新海誠はいつもこの辺が甘い印象ある。気づいてないはずはないだろうから意図的に不要と判断したんだとは思うけどね。
だいぶ前から原作小説売ってるし、「当然読んできてますよね?」という意図が多少あるのかも?と邪推したり。


でもこの辺が曖昧でも演出と絵力(えぢから)で押し切れてるのはすごい。これはもう完全に主観なのだけど。

「想像の余地を残す」ととるか「説明不足」ととるかは受け取る人の裁量なのかもしれない。どこまでもロジックを求めるか、画面作りや人物の方が大事か。
個人的にこのボーダーライン上にありそうなのが「ジジイと要石2個目の関係」あたり。あの黒猫のムーブはなんなんだよ。

スズメちゃん、かわいい。

スズメちゃん、非常にキュートです。
声がいいね。声がいいよ。
マジで。田中将賀いい仕事しすぎだよ。
ストーリーは置いといても君の名は。以降の新海作品ってやっぱり人物の造形がレベチだよ。
それだけで見られんもん。

まとめ

なんか面白かったはずなのに書き出してみるとマイナス面を書いてしまうのはなぜなのか。
でも総じて満足はしたんすよ。面白かったよ。おすすめできるよ。

単純にエンタメ的な面白さでは「君の名は。」の方が上のように思うけど、”アニメ映画作品”って考えるとこっちのが上な気がしてる。
オタク向けだのティーン向けだのという枠から一歩外側にある一作だったように思う。

おわり。

小説読んだ後の考察
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↓天気の子の公開時に書いたゴミ
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