鈴と小鳥とそれから私とサウナ

太宰治「人間失格」感想 クズの自己憐憫を読まされる俺の身にもなってくれ



自分は、犬よりも猫よりも劣等な動物なのだ。
蟾蜍(ひきがえる)。
のそのそ動いているだけだ。

人間失格 (新潮文庫)


俺「ああ、そうだな。」

カス


度を超えた繊細さはほとんど犯罪だなと。

人間失格 by太宰治

ども、サウナ探偵です。

繊細さというかね。
なんでしょうね。

いやはや、イライラする読書でしたな。

自分がクズなのを自覚しつつもひたすらに自己憐憫に沈んで、時には他人のせいにして、それ自体を嫌悪して、自己批判をして、易きに流れて、破滅に向かう。
救いようのないクズ。

ちいかわみてえなヤローだな。

大庭葉蔵が思うような不信や自己憐憫、自分を繕っているような感覚は俺だって覚えがあるし、誰だってそうだと思う。
自分は他の人とは違うって。大人になってもそうなんだったら単に中二病の拗らせすぎじゃないですかね。

例えばライ麦畑のホールデン・コールフィールドみたいに、自分がクソゴミだと自覚しながらも世の中に呪詛を吐きまくる方がまだ共感できる。人間らしい。
そういう意味では人間味がねえってとこも含めて人間失格なのかもしれんな。
葉蔵と対照的に、堀木という人物は無神経で嫌味ったらしい俗物のように描かれている。
が、堀木の方がよほど筋を通しているし人間らしいと俺は思うね。
俺が葉蔵みたいに黙ってても女の方から寄ってくるような人間じゃねえからわかんねえのかもしれんけど。

葉蔵の何がクズかって、全部の原因が自分の中にあるのに周りの人を巻き込んで引っ掻き回してくところだよな。
非日常への関心だけで共産党に入り浸って、外面よく立ち回ってたら幹部に担ぎ上げられそうになって、怖くなって死のうとして、その時出会った女性を巻き込んで、自分だけ生き残って、その後も出会う女全員を不幸にして。
顔面がいいのと母性をくすぐる絶妙な弱さがあるせいで、女性たちはこの底辺のカスを憎みもしない。
俺が石投げてやりてえよ。
死ねばかって思ってたら最後ちゃんと死んだっぽかったからよかった。

こう葉蔵君をボロクソに書いたけど、これは小説が駄作というわけでは全くない
「人間失格」と題をつけて、読者に人間失格の烙印を押されるようなクズを描けているのは計画通りに他ならない。
あっぱれです。お見事。
まあこれ書いた1ヶ月後に死んだっつーから計画もクソもねえのかもしんねえけどな。

実は先に生田斗真の映画の方を先に観ていたんだけど、やっぱりこの手のは小説よな。

太宰、マジハンパねえよ。