芥川賞ってのは変な奴が主人公の小説しか受賞できねえのか?
やっぱり芥川賞ってそういう…
ども、サウナ探偵です。
やっと順番が回ってきた芥川賞受賞作品「推し、燃ゆ」by 宇佐見りん を読んだ。
2月に図書館で予約して半年かかったわ。30人待ちハンパねえよ。んで読むのは1時間という。
てか芥川賞ってバケモンが主人公の小説を受賞させる決まりでもあんの?
全編ネタバレあらすじ
推しがファンの女を殴って炎上した。
離れるファンもいるが、私は推し続ける。
子供の頃から何をやってもうまくこなせず、今バイトしてる定食屋の仕事も失敗ばかり。だけど、推しの人気投票のために頑張るしかない。
推し活のしすぎで留年が決まり高校を中退。親からも見放され一人暮らし。
仕事は何ヶ月も決まらないまま。だって探してないから。
そんななか推しの所属するアイドルグループの解散が発表される。
私の背骨が失われる。
出典: 俺
ただただ愚かという感想
これが手の届かない他人に自分の存在理由を預けてしまった人間の末路か…。
というのが率直な感想。
ただただ愚かだという印象しか浮かばなかった。
作中の描写から察するに、おそらく主人公は発達障害のようなんだけど、それを差し引いても全く味方できない愚かさ。
こういう人がいてはいけないとまでは言わないけど、俺には理解不能。
アイドルの追っかけになるっつーのは理解できる。俺にもそういう時期があったから。
とはいえ無秩序に無計画に全てを捧げるというのはどうにもわからない。
限界とか、引き際とか、そういうのが見極められない人はマジで何もやらないほうがいいのでは?
例えばパチンコで借金までしてしまう人だとか、クレカで破産する人のことを俺はイカれてると思ってるんだけど、本作の主人公も同じに見える。全く加減ができない人。自分を律せない人。
他の芥川賞作品との対比
過去の芥川賞でも、こういったズルズルと絶望的な生活を送る人物を描いた小説が受賞している。
例えば「コンビニ人間」「むらさきのスカートの女」がそれにあたる。
しかしこの2作には、本作「推し、燃ゆ」とは決定的に異なる部分がある。
コンビニ人間は、共感力の欠如したおばさんがコンビニバイトが天職であると再確認する話。
むらさきのスカートの女は、町で話題の変な女がいきいきと変わっていく様子を描いた話。
言わば歪ながらも前を向く登場人物が、アイデンティティを獲得した話なのだ。(むらさきの〜に関しては語り手のアイデンティティは喪失してるけど)
この2作は、疑問を抱えながらも清々しいという、奇妙で爽快な読後感を読者にもたらす。
一方で、本作「推し、燃ゆ」の主人公はアイデンティティを""推し""に委ね、推しが芸能界を去ると同時に、主人公はアイデンティティが失われたことに気づく。
他の人がどう思うかはわからんけど、俺は「何やってんだコイツ」と思ってしまった。
残念ながら当然。何も考えてないお前が悪い。という印象しかない。
故に、コンビニ人間、むらさきのスカートの女、と比べると、「ただバカな女がバカなりに人生オワタ話」にしか見えなかった。
かといって駄作とは言ってない
登場人物に好感が持てないだけで、だからといって小説そのものが駄作ということにはならない。
アイデンティティの喪失は、獲得と並んで、物語においてごく基本的な骨組みだから。
俺はこの主人公がメチャクチャ嫌いだし、小説そのものも好きになれないけど、偉い審査員の人たちが文学的価値があると認めているのだからそうなのだろう。
ところで、登場人物が嫌いという感覚には2種類あることに最近気づいた。
ひとつは、人物描写が作り込まれており、その人物の嫌な部分がありありと読み取れる場合。つまり、登場人物を1人の人間として認めた上で嫌いだ、という状況。
もうひとつは、人物が作り込まれておらず、即物的なキャラクター性だけが全面に押し出されている場合。1人の人間と捉えることが出来ないという状況。
つまり、そんな奴いねーだろ、という感情で、言わば「キャラクター設計スカスカすぎだろナメてんのか」という著者に対するヘイトだ。
最近出た負けヒロインがなんたらとかいうラノベがこれだった。
前者は、逆に言えば、「実在する人物として嫌われるほど人間が描けている」とも言える。
だから「推し、燃ゆ」はおそらく名作なのだろうと思う。俺は好きにはなれないけれど。
まとめ
芥川賞受賞作品「推し、燃ゆ」by宇佐見りんの感想と考察を書いてみた。
万人におすすめできるかっていうとそうでもない。でも芥川賞受賞作品だし、どうせ1時間くらいで読めるのだから、読書趣味人としては教養としてカバーしとくのはアリだと思う。
おわり。
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