つまらない本最後まで読むか問題
本を読み始めたものの、どうもノれない。
どうにも楽しめない、おもしろくない、破り捨てたい。
と思うことがないだろうか。
僕はよくあります。
この時、読者には様々な感情が渦巻く。せっかくここまで読んだのに、これまでの時間が無駄になる。いやいや、つまらないとわかってるものを読み続ける方が時間の無駄なのでは?今やめるのが1番損失が少ないのでは??いやでもこれからおもしろくなるかもしれないし…。
コンコルド効果である。既に投入したリソースが惜しくなり、損をするとわかってるのにリソースの投入をやめられない状態。
個人的には面白いものを取り逃がすことよりも、つまらないもので時間を無駄にすることの方がリスクが大きい。
だから今後おもしろくなるか、もしくはつまんなくても何かしらの糧になるか、を見極めて読書続行を判断したい。基本的には捨てる方向で。
その判断基準を言語化してみた。
すぐにやめるべき場合
個人的に途中で読むのをやめていいと思うのは以下の場合だ。
・文体に問題がある場合
・登場人物の心情が読みとれない場合
・特に有名作品でもない場合
文体に問題がある場合
単純にヘタクソな場合と、相性が悪い場合が考えられる。
ヘタクソというのはつまり日本語が正しくないとか、一文内に接続詞が多用されてほとんど読み取れないとか。
相性が悪いというのは説明しようがない。生理的に受け入れられないということはままある。
これは解決しようがないし、歩み寄る必要もない。
登場人物の心情が読みとれない場合
登場人物が何を考え、何をなし、結果どう思ったか、どう変わったか、これが読み取れない小説はもはや読む意義がない。と言っていいと思う。
読み手のせいで「理解できない」じゃなくて文章のせいで「読み取れない」場合であることが重要。
だってそれって習得してない外国語の文章を見てるのと同じだから。
特に有名作品でもない場合
つまんなくて苦痛でも、有名な作品だったら読み切ってもいい。なぜならばそれについて話題になった時に意見交換ができるからだ。
つまり社会で共通言語として使えるかどうか、ということ。
誰も知らん話のネタにもならん上に面白くも無い小説に読む価値を見出すのは難しい。
作者が論理的な人物でない恐れがある場合
これはどちらかというと新書に当てはまる。
どうも読んでいて「こいつは何を言ってるんだ…?」と思うことがある。
帰納的でも演繹的でもなく、""感想""を垂れ流してるだけの文章。
評論文というのは俺は著者と疑似的に議論ができる書物だと思ってる。だから著者の論理に破綻がある場合(賛同できるかどうか以前に)は読む価値がないと言っていいと思う。
粘ってみてもいい場合
個人的に、諦めずに粘って最後まで読んでみてもいいと思うのは以下の場合だ。
・登場人物に共感ができない場合
・ジャンルがミステリーの場合
・普遍性のある古典的名著の場合
登場人物に共感ができない場合
「読み取れるが、自分の考えとは違う」という場合。上記の読み取れない場合とは似ていて全く違う。
言ってることはわかるけど、俺は納得できないし賛同できないよ、という状態。
この場合は面白くは無いかもしれないけど、別の価値観に触れるという意味で非常に価値がある。と、思う。
ジャンルがミステリーの場合
占星術殺人事件のことを言っている。
普遍性のある古典的名著の場合
たとえば夏目漱石がクッソ読みづらくておもんなくても、読み終える意味はある、と言えばわかりやすいだろうか。
教養として認められる著書、と言い換えることもできる。
まとめ
上記は、大前提として「なんか面白くねえ」と思った時に取捨選択する指標である。
楽しんで読んでいるのに、有名作品じゃないからという理由で読むのを辞める必要はない。
もう一度、簡単にまとめてみる。
すぐに読むのをやめていいのは
・文章に問題があり、何言ってるのかわからない本
・とくに有名でも無い本
最後まで粘ってみてもいいのは
・共感できなくても内容はわかる本
・ミステリー
・教養として認められる本
だ。
なお、この考えに沿って駄作を排除できても、9割までは面白かったのにオチがゴミすぎて産廃レベルのゴミオブゴミという小説にも時々出会う。
こういった交通事故レベルの本はなかなか避けられない。だが交通事故を怖がって外を歩かないわけにもいかない。
10時間を費やしたのちに、圧倒的な敗北を喫することも少なくない。そう考えると、読書とは極めて贅沢な営みなのかもしれない。
そうしてリソースを投入した上で出会う極上の一冊というのは何物にも変え難い。これはもうギャンブルだな。やめられんですな、読書は。
おわり。