鈴と小鳥とそれから私とサウナ

必読「わたしはあなたの涙になりたい」by四季大雅 感想 考察 2022年の優勝が決まりました ややネタバレ 


恋愛だの奇病だの災害だの、そんな軟弱な小説よんでられっかよ…


そう思っていた時期が僕にもありました。

ラノベの形をした文学以上の何か

ども、サウナ探偵です。
まあずべこべ言わずに読んでくださいよ。

「わたしはあなたの涙になりたい」by四季大雅


これほどの作品をたったの700円で読める世界に生きててよかった。
すんげえよこれ。タコ殴りだよ。よく皆さんは本作を読まずして人間ヅラしてられんね。

ともかくですよ。すげえんだよ。
損失よ、これを読まないのは。損失。機会損失。YouTube見てる場合と違うぞ。マジで。

ラノベってどんどん棚入れ替わるから一刻も早く読んでほしい。
数ヶ月後には書店から姿を消すであろうことが本当に惜しい。

一方でラノベ大賞じゃなくて一般文芸レーベルから単行本サイズで出てたら絶対に手に取らなかった一作でもあり、大変悩ましい。何が。

ガガガ文庫はこういうのが年1くらいであるからマジでやめらんねえ。

ともかくあらすじをチェックしていただこう。

あらすじ

これは、涙で始まり、涙で終わる物語。

全身が塩に変わって崩れていく奇病「塩化病」。その病で母親を亡くした少年・三枝八雲は、小学校の音楽室でひとりの少女と出会った。

美しく天才的なピアノ奏者であるその少女の名は、五十嵐揺月。鍵盤に触れる繊細なその指でいじめっ子の鼻を掴みひねり上げ、母親の過剰な期待に応えるべく人知れず努力する。さまざまな揺月の姿を誰よりも近いところから見ていた八雲は、我知らず彼女に心惹かれていく。

小学校を卒業し、ますます美しく魅力的に成長した揺月は、人々の崇拝と恋慕の対象となっていった。高校に進学する頃、すでにプロのピアニストとして活躍していた揺月はイタリアへと留学してしまう。世界を舞台にする揺月と、何者でもない自分との間にある圧倒的な差を痛感した八雲は、やがて小説を書き始める。

揺月との再会はある日唐突に訪れた――その再会が、自分の運命を大きく変えるものになることをその時の彼は知る由もなかった。

これは、涙で始まり、涙で終わる物語。

「わたしはあなたの涙になりたい」より


何一つ新しい要素がない

本作、全く新しい要素がない
野球、恋愛、奇病、毒親、逃避行、災害、喪失…
どこをどう切り取っても既視感がある。何一つ新しくない。
こう聞くと、凡作と切り捨てられておかしくないように思える。
とんでもないことである。
これは全くマイナス要素ではない。

このありふれた材料をどう料理したらこんなバケモンじみた大作になるのか、正直に申し上げてわからない。分析不能な一作だ。すごすぎる。
既視感がプラスに働くなんてことがあるのか。

本当に想像以上のことは何一つ起こらない。
全ての要素が、予想通り、定石通りなのだ。

にもかかわらず、読者は想像を超える感情を抱くことになる

この言いようのない読書体験は読んだ人にしかわかってもらえないと思う。

消費されたくないという自己矛盾

作中でしきりに「物語として消費すること」について言及されている。
塩化病にかかった揺月は、自分の死を物語として消費させてやるつもりはないと言う。
何も知らない第三者に涙を流させ、翌日には忘れられるようなものになる気はないと。それは不幸を商品にすることへの嫌悪である。

しかしまさにその揺月が嫌う、物語として消費される死が本作「わたしはあなたの涙になりたい」である。

塩化病が発覚してから、物語は非常にステレオタイプに流れる。
残された生活、失われていく身体、旧友との再会、両親との和解(?)。
あらゆる要素が既定路線を進む。揺月が嫌う、型にはまった泣かせる系の体をなしてゆく。

この、いわば自己矛盾的なストーリーが、本作をありふれた題材ながら唯一無二の一作にしているのかもしれない。

一つ言えるのは、揺月が送った最期の時は、不幸ではなく幸福な時間だった、ということだろう。消費される不幸ではなく、糧となる幸福である。

本作は、揺月が嫌がったような消費されて記憶から押し出されていく作品ではないということだけは断言したい。

まとめ

2022年暫定1位。
もう不動でいいだろこれ。

はやく全員読んでくれ。
そして売れに売れて映画化してくれ。


おわり。

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