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【攻殻機動隊】GHOST IN THE SHELLをやっと理解した 感想&考察&解説 ネタバレあり

GHOST IN THE SHELL~攻殻機動隊~ [DVD]

攻殻機動隊を好きになれなかった

攻殻機動隊がずっと好きになれなかった。
だってわけわかんねえんだもん。ストーリーがきちんと理解できないから面白えんかどうかすらわかんねえの。

でも妻がね、大好きなんですよ。攻殻機動隊のマジヲなの。
だから俺がわからんおもしろくない置いてけぼりだし訳わかんない!こんな初見殺しは俺は認めない!って言ってたらこいつを渡された。



あなたはこれを読みなさい。そしてゆっくり理解をしなさい、と。
そして読んだあと映画版GHOST IN THE SHELLを再視聴すると驚くほど腹オチした


大筋の解釈

わかってしまえば死ぬほど単純、超シンプルな話だった。

テーマは「義体化によるアイデンティティの危機」

ストーリーのあらすじを追っていく。
まちがってたらスマン。俺なりの解釈ということで許してほしい。
あと自分の再理解のために書いてる節もあるので長くなる。
完全に理解してる人は次の章に飛んで頂きたく。

(A)初めの5分とオープニング

これは漫画版のプロローグを改変したもので、電脳、義体化、光学迷彩、公安9課=治安維持組織であるといった基本概念の紹介パートとなる。

(B)前半20分

漫画第3話のエピソード

政府関係者の電脳がハッキングを受ける。
本件は、他人の電脳を操り犯罪行為を行う指名手配犯「人形使い」の仕業ではないかと考えられた。

ハッキング元を逆探知し、実行犯と思われるゴミ収集車を捕まえることに成功。

実行犯のごみ収集員は、酒場で会った男にもちかけられ、離婚協議の便宜を図ってもらう代わりに、ごみ収集ルート上の公衆電話でタスクをこなす取引を行っていた。そのタスクが、まさに政府関係者へのハッキングとなっていた。

彼自身は、そのタスクが何なのかは知らされていなかった。(麻薬の運び屋みたいなイメージ)
さらには彼の記憶は全て植え付けられた記憶であることがわかる。実際には妻も子供もおらず、独身で、離婚協議もしていなかった。

つまり、実行犯の男は人形使いにより偽りの記憶を植え付けられ、それを解決しようとしたがために知らぬうちにテロ行為に加担していた、ということ。

ここで本世界観における「"記憶"の危うさ」が視聴者に印象付けられる。

(C)つなぎの5分(超重要)

先の事件を受け、素子が自我について自問するシーン。
素子は脳以外の全てを義体化している。身体の構成が機械に置き換わるにつれ、通過儀礼とも言える疑問が湧いていく。

果たして今の自分は、以前の自分と連続した自我を保っているのか。記憶が自我の本質ならば、記憶を操作できる世界で、自我と認識しているこの意識が絶対に人工物でないと断言できようか。
ある時点で人間としての私は死んでしまっているのではないか。

このシーンは、前半の事件を見た視聴者が抱くであろう「記憶や自我の危うさ」について、主人公である素子が当事者視点で同じように感じていることを示すシーンだ。
視聴者による素子へのダイブともいうべき重要シーンとなる。

まさにテーマである「アイデンティティの危機」が提示された瞬間である。

(D)後半50分

つづいて漫画第9話のエピソード

極秘の高級義体工場で、指示もないのに製造ラインが勝手に動き、一体の義体を作り上げた。
この義体が脱走した。

義体化とはサイボーグ化のことで、本質は人間である。つまり義体だけがつくられても操作者である人間の脳が付随しなければ、タダの入れ物に過ぎない。自律行動をとるはずはない。

脱走した義体を公安9課が回収する。事情を知る公安6課の証言により、この義体が人形使いであることがわかる。

人形使いとは、どうやら実体を持たない自我らしい。つまり、超高性能AIのようなもの?それともウイルス?情報の海から生まれた生命、らしい。
人形使いには生命の本能とも言える自己複製欲があった。
しかし、ともすれば超高度なプログラムともいうべき""現象""にすぎない彼には生殖行動はできず、多様性も獲得できない。

そこで以前から注目していた素子と融合し、自己複製能、ひいては多様性の獲得により種の崩壊を防ぎたかった(遺伝子を残したかった)。故に素子の所属する9課に保護されるような行動をとったのだという。
(素子も義体だから子孫残せなくない?と思ったけどこの辺はよくわからん)

だが、直後に人形使いは義体ごと盗まれる。先の事件のこともあり自我への疑いを抱いていた素子は、""興味""に突き動かされ、人形使いを追う。

奪われた人形使いにたどり着いた素子は、人形使いと精神接続し直接の対話を試みる。(言語を介さない、同期のようなイメージ)が、さらなる追手に狙撃され人形使いと素子の義体は破壊される。しかし素子の脳は無傷で残った。

素子の脳にはすでに人形使いが侵入し、融合を果たして新たな存在になっていた。行方不明扱いの素子の脳は急に用意された少女型の義体に納められ、人形使いとともに広大なネットの旅に出る。(このくだりは途中から漫画の第12話に飛んでいる)

THE END.



長くなってしまった。
もっと簡単に起承転結で表すと以下のようになる。


政府関係者へのハッキング事件が起こり、この世界における自我の危うさが示唆される。


ハッキング事件を経て、素子自身、脳以外を義体化した自らの自我について悩む。


実体を持たない自我「人形使い」が登場し、自我に悩んでいた素子が個人的に興味を惹かれる。


電脳化された素子と、情報から生まれた人形使いが融合し、新たな存在となる。

なるほど、話がわかった上で映画を見ると確かに面白い。
ストーリー的な面白さもあるが、原作ストーリーをこう改変して落とし込むのか、という興味が尽きない。

なぜこんなに小難しく分かりにくいのか

では、これほど単純なストーリーであるGHOST IN THE SHELLが、なぜ小難しく分かりにくいのか。理由を考えた。
漫画の該当話も読んだ上で、以下の2点が大きいように思った。

(1)必要な情報と不要な情報のバランスが独特であるから
(2)映画にするにあたり、オタクにウケるテーマを再設定したために、原作のエピソードを便利にツギハギしているから

次章から一つずつ掘り下げてみる。

全部を理解する必要は全くない

まず(1)から。
本作は圧倒的に説明不足である一方で、ストーリーラインに無関係な会話が多すぎる。
俺は全ての会話を理解しようとしていた。全てが繋がるはずだと思っていたからだ。故に理解できず""混乱""していた。
本筋と関係のない会話が山ほどあり、これを全て拾っていると逆にストーリーの理解の妨げになるのだ。

全部を理解する必要は全くない。
だがストーリーを理解しようとするとノイズが多すぎる。

真剣に受け取ろうとする視聴者ほど苦しむ構造になっている。
だから初見では雰囲気や世界観を楽しむ他ないという珍妙な作品になっている。

これを踏まえるだけでGHOST IN THE SHELLへの向き合い方が変わり、ぜんぜんわかんない映画からまあ楽しめる作品にはなるはずだ。

漫画版との対比

次に(2)について。
原作漫画とアニメ映画GHOST IN THE SHELLではテーマが全く変わってしまっている。

まず、素子のキャラクターが、以下のように違う。

漫画: 悪者を許さない正義の味方。
映画: 自我の定義に悩み苦しむ公務員。

メインテーマが変更される都合上、主人公のあり方も変わってくるのだ。

原作漫画は、義体化という概念が前提となった世界で、悪者を倒す正義の味方の話だ。アンパンマン方式、プリキュア方式、ウルトラマン方式とも言うべき一話完結の勧善懲悪だ。
義体という概念は、他の数々の設定と同様に、設定でしかない。言い換えれば舞台装置でしかない。

映画版では前述したように、「義体化によるアイデンティティの危機」をテーマにしている。序盤の政府関係者へのハッキング事件を経て、視聴者は「この世界における記憶の不確かさ」を印象付けられる。
素子が自我への揺らぎを抱くシーンを挟み、人形使いのエピソードへ移行する。以降、素子の行動は組織や公衆の利益よりも、自らの”興味”に従ったものになる。

漫画版の素子はどこまでも利他主義である一方、映画版の素子はエゴで動く利己主義である。

まあ1995年だからね。サイボーグのアイデンティティみたいな話は間違いなくオタクにウケるよね。

メインのストーリーラインをなぞりつつ、全くテーマが変わってしまっているというこの状況は、悪い状況ではない。メディアミックスにおいて原作を完全になぞる作品は大体が駄作になるからだ。
原作者の士郎正宗氏自身、原作は意識せずに作ってほしいと明言している。 GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊 - Wikipedia


ただし、そうしてメインテーマを「アイデンティティの危機」に据えてしまったために原作の全く繋がっていない話を切り貼りすることになった。

前半のごみ収集員の話と後半の人形使いの話は原作では全く関連のない話である。映画においては「人形使いが絡む」という一応の関連を持たせているが、本来別の話である。
1本の通った話ではなく、エピソードが2つある、という構造なのだ。
その一方で「人形使い」という言葉は初めから出てくるので、混乱を招く。

以前の俺はこの構造がわかっていなかったので、前半の要素が全く後半に繋がっておらず、話に置いていかれた。

以前はこの時点で何もわからない作品に落ちてしまい、後半は寝るしかなかった。

本筋を語るにつけて、前半部は別の話として捉える必要がある。
前半は「視聴者と素子の視点の同期」のために存在している。
僕らが感じた自我の不安定さは、素子も感じているんだな、と。

分かったら面白いじゃん

構造や演出の意図が捉えられると、途端に腹落ちして面白く感じられるようになった。

以前は「ぜんぜんわかんねーよ。何が面白えんだこれ。いや、いいよ説明しなくて、知りたくもないですから。」
って感じだった。

んだけど、(1)理解しなくていい部分もある(2)原作の独立した2話+α分を再構成している、という””見方””がわかると途端にストーリーがスルスルわかった。

漫画を読んでから、対比を踏まえて考察するというのは本作の楽しみ方の一つかなって思った。

とはいえ初見殺しはいただけない

今ではGHOST IN THE SHELLを楽しむことができるようになったが、両手放しで賞賛できる立場には至っていない。

これは全く個人的な意見として受け取ってほしいのだが、「初見でストーリーが理解できない」映像作品は製作者の怠慢だと俺は思っている。

再視聴を繰り返すことで設定とか枝葉の面白さが滲み出てくる「噛めば噛むほど味が出る」という作品がある。
しかし初見でメインのストーリーラインが理解できないというのは「何回も噛まないと味が出てこない」状態である。
ここには線引きの余地があるかな、と。

漫画だったらいいのよ。一回買えば何回も見られるから。
映画は複数回見るのに金がかかる。
もちろんすでにDVD化されてサブスクにもなってる。
だがどうしてもこれが劇場公開されてる時に見たらどう思うのかなって考えてしまうんだよなあ。
たぶん俺だったら怒り狂ってると思う。TENETがそうだった。たぶん何回も見れば面白さがわかんのよ、あれ。

TENET テネット(吹替版)

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これはもはや創作物に対する意識の違いで、わかりあうことは無理だと思う。
俺は個人的に、一口目で味がしない作品は、その時点で深く知りたいと思えない。というだけ。
本作は妻が好きな作品なので、話ができるように理解をすることにした。

基本的には、小難しくとも、最低限ストーリーがわかるレベルなのが個人的な好みではある。
一方で、そうすると本作の良さがなくなるというのも確かだと思う。
本作はわかりやすさを追求して大衆向け娯楽作品に成り下がってはいけないと思うし、そうしていないからこその評価だろう。

まとめ

漫画を読んで、大筋を理解した上で映画GHOST IN THE SHELLを見た。
本作を見るのは複数回目だけど、初めて面白いと感じられた
そこで新たに感じ取った本作の構造や演出意図について考察してみた。

今までなんで面白がれなかったのか分かったのはまさに青天の霹靂ともいうべきコペルニクス的転回だった(言いたいだけ)。
もう一回書いておくと、本作がわかりにくいのは

(1)必要な情報と不要な情報のバランスが独特であるから
(2)メインテーマを変更したために、原作の独立したエピソードをツギハギしているから

と考えられる。
GHOST IN THE SHELLぜんぜんおもんねーよ!という人はこの辺りを意識して再視聴していただきたい。

この記事は今までで1番長い投稿になったと思う。
文字数が大学4年の時の卒論くらいになった。
逆にいうと、それほどに考えることがたくさんあったということ。だし、考えること自体、大変楽しい作業だった。

俺の中で、本作は「意味不明のクソ」から「なんだか好きにはなれないけど無視できない面白い映画」までは昇華した。


以上。

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